古代史コダチャン1古代史コダちゃんで〜す!
これからこのコーナーでコダが調べたHO!HOON!ネタを紹介していきます


NO,1 1回目は、鹿島神宮」です。

★ プロフィール 
・かしまじんぐう ・茨城県鹿嶋市宮中 ・鹿島神宮は利根川の下流北岸の丘陵上に鎮座する常陸国一の宮で、旧宮幣大社です。・祭神は武甕槌神(たけみかづちのかみ)

鹿島神宮はもともとご祭神の武甕槌神(たけみかづちのかみ)が本当に暮らしていた住居だったんだ!


武甕槌神ってどんな神様?

神代の昔、武甕槌神(たけみかづちのかみ)は天照大神の命により出雲国に赴き、大国主神と
の「国譲り」の交渉に成功した。その後、各地を平定にして、日本国統一の基礎を築いた。

古代史コダちゃん「ふ〜ん」1.日本の神話の特徴は、神々が時代を経過するに従って私達日本人となることで、つまり難しい名前の神々といっても、私達と血縁で直接つながっている祖先のことと言ってもいいんだよ。

 2.それでその武甕槌神(たけみかづちのかみ)が常陸の大甕(現在茨城県日立市)を根拠地にしていたカガセオという悪者を平定して鹿島にやってきたんだ。
 
3.そこで武甕槌神は鹿島の見目浦の磐座に本拠を構えて、そこから建葉槌神をカガセオ征伐に向かわせたんだ。そして建葉槌神は静(茨城県那珂郡瓜連町)の地に陣を作りカガセオを討伐「現在の静神社」したんだ。
4.その後武甕槌神は、そのまま鹿島に住居を定めて暮らしたんだ やがて武甕槌神はここで亡くなり神孫 穂見命の時代に、神武天皇が勅祭し鹿島神宮になったんだよ すごい歴史だよねー!

ほー!神武天皇は武甕槌神(たけみかづちのかみ)が使っていた剣を借りて戦いに勝利出来たので、そのお礼に作ってくれたのが鹿島神宮の始まりなんだよ!


ふーん神武天皇ってどんな天皇?


記紀伝承上の初代天皇。神武という名称は8世紀後半に決められた。たかまがはら高天原から
ひむか向日に降ったににぎのみこと瓊瓊杵尊の曾孫。45歳のとき天下を治めるべき地を求めて、
日向の高千穂宮を出発、その後大変苦労して大和に入り、橿原宮(かしわらぐう)(奈良県橿原市)で
初代天皇の位についた。

1. 武甕槌神(たけみかづちのかみ)が実際に使っていた神剣のことを霊剣(ふつのみたまのつるぎ)というんだ。意味は刀を一閃するフッという音のまにまに刀の霊魂がはたらき、すべての紛争を解決するという意味なんだ。この刀は現在奈良県天理市に鎮座する石上神宮(いそのかみじんぐう)にあってその御祭神になっているんだ。
古代史コダちゃん「ほおー!」
2. 神武天皇が大和入国を目指して、熊野に上陸されたとき、悪神の毒気によって全軍が病にかかり心気もうろうとなった。心配された天照大御神(あまてらすおおみのかみ)と高木神が武甕槌神(たけみかづちのかみ)にむかって、葦原中国は国譲りもすんでいるのにまだ騒いでいるようだから行っておだやかにしてあげるようにと申されると、武甕槌神(たけみかづちのかみ)は、私が参らずとも前に国をおだやかにする時に使った神剣を下しましょうと高倉下という者にその剣を授けられた 高倉下はそう神々の申されることを夢に見て、倉をみたところが現に剣があったので、早速その神剣を神武天皇に差し上げたんだ そうしたらその力を得られた神武天皇は、熊野吉野の連山を越えて大和に入国され、長髄彦(ながすねひこ)を討って建国創業の第一声をあげられたんだよ 武甕槌神(たけみかづちのかみ)の神剣のおかげだよね それで橿原の地で即位された神武天皇は、そのお礼にその年はるばると鹿島に使を遣わして武甕槌神(たけみかづちのかみ)を祀り、ここに鹿島神宮が誕生したんだ。

3. なお霊剣(ふつのみたまのつるぎ)は橿原の都の殿内に斎い奉られ、その後、崇神天皇の御代に石上神宮(いそのかみじんぐう)に移されてまつられたんだ。鹿島神宮では奈良時代後期に二代目の神剣を造って納めたんだ。これが現存する国宝の「直刀」二代目霊剣(ふつのみたまのつるぎ)なんだって 歴史ってすごいよね!

ほー!中臣鎌足は鹿島神宮で生まれたんだ!

ふーん中央デビュー後の中臣鎌足の活躍


中臣鎌足は、中大兄皇子(後の天智天皇)に近づき、645年皇子とともに当時政権をほしいまま
にしていたそがの蘇我入鹿(いるか)を飛鳥板葺宮で暗殺、その父蝦夷(えみし)も自害させた。
そして改新の詔で「公地公民」「班田収受」などを定め律令体制を整え中央集権化を推し進めた。
いわゆる「大化改新」である。後に天皇より「藤原姓」を賜り、かの藤原氏の祖を開いた。

1. 崇神天皇の御代に中臣神聞勝命が奉幣して鹿島に居住したのが、鹿島の中臣氏のはじまりで、その後武甕槌神の神系と婚姻し、やがて神主、大宮司と進んだんだ!

2. 推古天皇21年(または22年)に、鹿島神宮の神官である御食子の妻が臨月となり、今の北浦あたりの産屋に移って生まれたのが鎌足なんだ。

3. 当時は名を「鎌子」といい父御食子に大変かわいがられたんだ 鎌子は成長すると極めて利発だったので、父は鹿島で一生を終わらせるより学問をさせようと思い、当時の都、飛鳥へ上京させたのが中央デビューの始まりなんだよ びっくりしたねー!

ほー!奈良の春日大社は鹿島神宮の遥拝宮の一つに過ぎない!


ふーん「神宮」と呼べるのは伊勢神宮を除いては、鹿島神宮と香取神宮の二つだけ!!


現代では熱田神宮・明治神宮をはじめとして十数社が神宮号を持っている。しかし平安時代の「延喜式」
神名帳には天神地祇すべての神社3132社のうち、神宮号が認められたのは上の3社だけ。鹿島神宮が
いかに特別の厚い崇敬を受けていたかが伺いしれます。

1. 中臣鎌足は鎌子の時代から邸内に鹿島神宮の遥拝社を建て、朝夕の遥拝はかかさなかったんだ。

2. 鎌足公の死後40年目に、その子藤原不比等が右大臣となり、つづいて武智麿がなった そして鎌足三世の孫永手が左大臣に任じられた翌年の神護景雲元年に、鹿島信仰は春日神社造立の機運へと盛り上がったんだ。

3. 神護景雲元年6月に、御分霊を鹿島の神鹿の背に乗せて、鹿島神宮を出発しました その後1年近くかかって奈良に到着 神護景雲2年6月21日ようやく春日神社にまつられました。

4. こうして春日神社は創建され、つづいて香取より斎主神を勧請して第二殿とし、さらに枚岡の神と姫大神を第三、第四殿にまつって、ここに現在みるような春日神社が成立したんだよ。

5. でも春日神社という大社が成立しても、その大社は一般の神社とは違って、あくまでも鹿島神宮の遥拝宮としての性格を維持しつづけているんだ。